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2015年07月18日

Mesaの日記:楽器と海外と自己表現

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最近、楽器店やネットなどで、初心者の方を対象にしたような楽器選びの方法、機材の使い方講座や奏法解説などなど様々な情報を良く目にするようになった気がします。

楽器を始める人が増えてきたんですかねぇ?良いですねぇ☆:-)

ただ、そういった情報が広がりすぎて、全てが形式化してきてしまっているのも事実だと思います。
楽器選びから始まり、演奏にまでその影響が出ているように思います。
多くの人が同じような機材を所有し、誰もが同じようなプレイしかしないという状況です。
僕は、見ていても全くパーソナリティーなモノを感じません。
本来、自己を表現する為の楽器が、紙面やネット上の情報や知識を再現するためだけの手段になってしまっているようにも思えます。(勿論、全ての人ではないですが。)

僕もネットは大好きです。
ただ、その分のリスクもかなり高いと思います。
前述のように僕が感じている状況も、その1つかと思います。

音楽は、自分で見たモノ感じたモノを、自分というフィルターを通して再生するモノだと思っています。
そこにパーソナリティーを感じるのだと思います。
楽器の音は、自分の声と同じです。
誰もが、顔を見ずとも友達の声は聞いただけで誰だか判別出来るかと思います。
楽器の音も同様です。
一音聴いただけで、誰だかわかるモノが含まれている事が大切だと思います。
僕は、楽器1つ持って外国に行ったので、自分の弾く音が自分の声だという意識はかなり強いです。
音は、言語以上のものを含んでいるとわかっています。
初対面の人と1時間会話するより、1曲ジャムる方がその人を知る事が出来ると知っています。

そして、それはプロもアマも、初心者も上級者も何も関係ない世界です。
楽器を上手く弾ける、音楽的知識があるから上なのだと言うことも全くないです。
音楽は芸術であり、自由に自己を表現するべきものです。
芸術を分析する事に、あまり意味はないかと思います。
音楽なんて、分析してしまえばだだの音の羅列ではないでしょうか?
そこに何かを付足すのが、自分というフィルターだと思っています。
難解なコード進行だろうが、複雑なスケール選びだろうが、最高域のテクニックだろうが、パーソナリティーが無ければどう頑張ってもただの音の羅列です。
誰にも真似の出来ないパーソナルなその領域に、本物の芸術があるのだと思っています。

ネットや楽器店に用意されている物が、自分に合っているとは限らないです。
形式にとらわれずに何かにトライする事は、自己表現にとって非常に大切な事だと思います。
毎日のスケール練習も大切かもしれないですが、自分の声を探すのも必要かと思います。

今日は、リペアには殆ど関係ない個人的な話でした〜。

また気が向いたら、自分が外国で実感した、日本人と外国人の音楽の違いについてなんかを書いてみたいと思います。
タグ:Mesaの日記
posted by Mesa at 00:00| Comment(0) | 修理 / Mesaの日記
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