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2015年08月01日

Mesaの日記:リペアマンて何なの?

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そういえば、昨夜ネット見てたら
『リペアマン=職人』という記事がいくつか出ていました。

一般的にそういう意識は強いようですねぇ。
確かに、ある種の特質的な技術を必要とされている為からだと思います。

しかし、僕には凄く引っかかる部分です。
僕の中では『リペアマン=プレイヤー』です。

僕はニューヨークで、リペアマン・ルシアーとして有名なMas Hino氏とよくjamセッションで一緒にプレイしていました。
彼は、リペアマンであると同時にプレイヤーでした。

僕は、毎週のようにどこかのjamセッションへ行ったりしますが、日本のそういった場でプレイしている楽器屋さんの店員の方や、リペアマンを見たことがほぼありません。

コレは奇妙な話です。

1番現場での声が聞けるであろうそういったjamなどの場に、その種の方々がいないのは不思議でなりません。

多くが一般の方を対象とした、プレイのための道具を修理・製作・販売しているであろう方々が、現場ではなく、プレイヤーから離れた工房などにしかいないということに違和感を覚えます。

そういった状況も、リペアマンを職人として音楽から切り離してしまう要因になっているような気もします。
(勿論、これは僕の知る限りでの話なので、例外の方も多数いらっしゃると思いますが)

海外でMas Hino氏が成功している理由の1つは、彼が音楽の1番近くに居るから、世界のミュージシャン達もそんな彼を求めていくのかもしれません。

特質的な技術を必要とする世界には非常に興味がありますが、職人という言葉は音楽からは遠いイメージを僕は持ってしまいます。
僕は職人というものよりも、感覚的には楽器がいじれるプレイヤーでありたいと思っています。
以前も書きましたが、技術だけでは楽器は完成しないと思っているからです。

折角?なので、僕の感じる日本と外国の違いを少し書いてみたいと思います。(ただ、もの凄く個人的な意見です。)

どの分野でも技術者は、技術の追求に集中してしまう傾向があると思います。
特にこれは、手先が器用な日本人らしい性質でもあると思います。

そして、技術者や何らかのプロフェッショナル達は、ある所から他のプロの目を対象にした物作りをしてしまう傾向があります。

結果、技術だけが先行し本質からズレていきます。

楽器・音楽の世界だけでなく、どんな分野でもそういった点は見ることが出来るかと思います。

加えて、目で見える技術の差で物を比べ評価するという、これまた日本人特有の性質がその状況を加速させているかと思います。

技術の向上により不純物は取り除くことは出来るのかもしれませんが、楽器・音楽から大切な何かも削いでいってしまっているようにも思います。
ある種のノイズや雑味、不純物が音楽を形成している1つの要素であることは間違いないかと思います。
そして、多くの方が無意識にでもそう感じているのでしょう。
だから、楽器の世界は未だに真空管を使い、ヴィンテージをありがたがっているのでしょう。

しかし、自分に必要な雑味や不必要なノイズ・不純物を、自分の感覚で判別出来ないのも日本人の特徴かと思います。

そして、技術の先行によりズレた本質に引っ張られていってしまう悪循環が起こっているかと思います。

僕はやはり日本人の『感じる』そして自身で『解釈し表現する』という感覚が、他の国々の方に比べてもの凄い差があり、そこがこの状況を作り出しているのだと思います。

ただ僕は、外国人に比べて日本人が劣っているとは思いません。
しかし、日本人が自分たちが持っている特性について理解しない限り、外国の真似をするか、偏った技術の追求で終わってしまうかと思います。
これは、音楽・楽器に限った話ではないかと思います。

僕も、楽器を弾きに外国へ行って、最初は外国人の真似をしようとしていました。
ダイナミクス溢れるプレイなどはやはり憧れますし、僕も当初そういった部分を得たいと思って外国へ行きました。
しかし、上手くはいきませんでした。
ただ、自分がもの凄い中途半端な存在に感じただけでした。。。

しかし、ある時気づきました。
表現の場で、外国人の真似をすることの無意味さをです。
日本人がどう頑張っても、アメリカ人のような大胆なプレイ、グルーブを手に入れることは出来ないと思います。
そして、いくらそれを真似しようが外国ではウケません。
つまり、外国ではただ真似するやつにはあまり興味を持ってくれません。
代わりに、常に自分らしさを求められます。
そして、そのらしさとは、まず日本人らしさという点です。
外国で生活するからこそ、隠したい部分であった点が一番大切な部分でした。

僕が考えた日本人とは、周りへの気遣いや繊細さ、そして手先の器用さを持っているということです。
これは、日本が世界に誇れる部分だと思います。
僕が、そこを考え弾くようになってから、色々な人からjamやliveの演奏に誘ってもらえるようになり、様々な人とプレイすることが出来ました。
勿論、友達も一気に増えていきました。
以前にもここに書きましたが、自分の音が自分の声になった瞬間だったんだと思います。

技術・知識があるかは、外国では二の次です。
自分が誰なのか、何を言いたいのかがハッキリしていることが求められます。
そして、それを持っていない人は、演奏後にNice try..と言われて終わりです。
演奏後に誰一人話しかけてはくれません。

また、日本の演奏後に見かける、あそこのコードがどうの、スケールがどうの、、7thの音が、、、などなどの会話、またはベテランさん達のアドバイス合戦が繰り広げられる光景。

外国では見ない光景です。
少なくとも僕は見たことはありません。
その代わりに、感じろ!という雰囲気を強く出されている気がします。それだけです。
ダメならNice try..を言われて帰るだけです。

こういった日本での演奏後の光景は、音楽のゴールが知識や技術、または形式化された物で構成されている部分が大きい為だと思います。
また、感じることではなく、教わることがゴールへの近道と考える日本の文化ではないかと思います。
ありとあらゆる教材・お稽古ごとが溢れているこの国の状況を見ても強く感じます。
そして、知識と技術が感覚より先にいってしまっている結果でもあるかと思います。

外国の人たちは、上辺の肩書きなどは気にしません。
勿論、プロ・アマも年齢・性別も関係ありません。
自分を楽しませてくれるヤツかどうかだけを求めています。
つまり、自分の本質で当たっていかないと評価してくれません。
こういった経験は、それまでの僕の考えを大きく変えました。

ただ、日本人は本質を見失いやすい民族だと思います。
勿論、僕も例外ではありません。
しかし、それを常に意識することが大事なんだと思います。
何もかもが揃っていて、美味しい謳い文句が溢れるこの国では、いとも簡単に自分らしさというものは流されていってしまいます。
自分らしさは自分で守るしかないのです。
そして自分で自分を感じようとしない限り、本質には近づけないと僕は思っています。

確かに、知識と技術を固めた方が、形になるのは早いかもしれませんが限界がきます。
しかし、感覚に限界はこないと思います。
更には、感覚は自分の持っている知識と技術を上へと引き上げていってくれるものだと思います。

最高域の技術の裏には、純粋な感覚が隠れているはずです。
つまり、感覚を無視してしまうと、どんなに技術・知識を学んでも、限界の壁を超えることが出来ないかと思います。

ただ、そういった本質や何かを感じるという感覚が特別なものだとも思ってはいません。
全ての人が持っている、基本的な感覚のはずです。
ましてや繊細である日本人は、誰もが些細なことでも常に何かを感じているはずです。
しかし、感じたことを自分で解釈し、表現することを苦手としているのも確かです。

本質を求める文化は、常に最高のワクワクを求める外国人ならではないかと思います。
そして、ワクワクを常に求める姿勢に僕は多くのことを感じ学びました。

アメリカは自由な国なんかではなく、あれが至って普通の基準と言えるような世界なのだと思います。

ただ、日本が不自由の国なだけです。
人目を気にし、感じたことを押さえ込む必要はないでしょうし、演奏にとってもそれは大きな障害になるかと思います。
前述のように、日本人は世界に誇れるとても素晴らしい物を持っています。
独自の特性を、独自の感覚で伸ばしていくべきだと強く感じています。

まぁ勿論、全ての外国の方、日本の方がここで書いてきた様な傾向に当てはまるわけではないとも思いますが。。。

以前はアメリカ人への憧れは強くありましたが、今では、自分が日本人で良かったなぁと思えるようになりました。

でも、いつかはアメリカに住みたいなぁ。

今回も全くリペアの話ではなかったですね。。。
タグ:Mesaの日記
posted by Mesa at 00:00| Comment(0) | 修理 / Mesaの日記
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